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マフムード・シャー1世 (マールワー・スルターン朝) : ミニ英和和英辞書
マフムード・シャー1世 (マールワー・スルターン朝)[まふむーどしゃー1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

マフムード・シャー1世 (マールワー・スルターン朝) : ウィキペディア日本語版
マフムード・シャー1世 (マールワー・スルターン朝)[まふむーどしゃー1せい]

マフムード・シャー1世(Mahmud Shah, 生年不詳 - 1469年)は、インドマールワー・スルターン朝の君主(在位:1436年 - 1469年)。即位前はマフムード・ハーン・ハルジー(Mahmud Khan Khalji)といった。彼は王朝の中で最も強力な君主であり、争いに生きた君主でもあった〔チャンドラ『中世インドの歴史』、pp.175-176〕。
==生涯==
1436年、マフムード・ハーン・ハルジーは君主ムハンマド・シャーを毒殺し、王座を奪った〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160〕。ここにゴール朝に代わるハルジー朝が成立した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160〕。
マフムード・シャーはその治世、グジャラート・スルターン朝デカン地方バフマニー朝オリッサガジャパティ朝、ゴンドワナといったヒンドゥー諸王朝と争った〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.176〕。また、彼はデリー・スルターン朝サイイド朝)の内政にも関与し、数名の貴族とも連絡を取り合い、彼らはデリーを制圧するように要請した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.151〕。
マフムード・シャーは南部ラージプーターナーを制圧することに力を入れ、メーワール王国と激しく争った〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.176〕。メーワール王クンバーはマフムード・シャーと敵対する人物を保護し、マールワーの君主にこの人物をつけようとした。これに対して、マフムード・シャーはクンバーの兄モーカルに保護を与え、しきりに内部の反乱を起こそうとした〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.176〕。
あるとき、マフムード・シャーの軍勢はアジュメールにまで進撃し、そこに地方長官を任命したが、これは追い返された〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.177〕。
また、マフムード・シャーはフーシャング・シャーからの宗教的融和策を捨て、メーワール王クンバーやヒンドゥー諸国との戦いの間、ヒンドゥー寺院を多く破壊した〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.176〕。ただし、これらの行動の多くは戦争中に行われたことであって、ヒンドゥー教の全面的な破壊政策の一部ととることはできない〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.176〕。
1469年、マフムード・シャーは死亡し、息子のナーシルッディーン・シャーが王位を継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マフムード・シャー1世 (マールワー・スルターン朝)」の詳細全文を読む




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